生き方・人生設計

なぜか人から嫌われる人は、天然なのも理由の一つ。嫌われる勇気重要

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今回書くのは、天然な人はなぜ人から嫌われるのか。自分を嫌いな人間は必ずいるので、そんな相手に構っているのは時間の無駄。

嫌われ批判されたと嘆いているが、実際は自分も他人を評価して批評している。

その3つについて書いていきます。

で、この記事を読むべき対象ですが、個人的には自分が嫌われていると感じている人です。

職場や学校で、「あの人はなぜか嫌われている。その理由を知りたい」的な感じだと、このサイトを読んでも意味がありません。

その理由については書いていませんからね。

では書いていきます。

 

なぜか嫌われる人の大半は天然な人

恐らくタイトルにもある、「なぜか人から嫌われる」と感じている人は、性格が良い人なのでしょう。言い換えるなら、感受性豊かだということです。

勿論、この記事を読む人が全員、性格が良い訳ではないでしょう。

人の悪口を言ったり、人を蔑んだりと、誰が見ても嫌われるだろうなという人は少ないということです。

自分は普通に接しているつもりなのに、人から嫌われる。そんな人が大半でしょう。

その理由ですが、貴方は天然で気がついていないだけで、人の神経を逆撫でているのです。

自分がそうだったのですが、思ったことをすぐ口にしてしまうんですよね。

その人に悪意のある言葉を言おうとはしていないのですが、結果的に受け取った人物は、悪口と捉えられてしまうのです。

で、なぜか嫌われる人の完成です。こればっかりは意識していないので、難しいところがあります。

ただ別に嫌われてもいいじゃないですか、と自分は言いたい。

この記事に飛んだ人は、どうにかこうにかして、人から嫌われるのを避けたいのだと思います。

はっきり言って、それは無理です。どんなに善人な人でも、その人が嫌いな人は一定数存在します。

具体的には次の項目で書きますが、割り切って生きていかないとしんどいですよ。続きます。

 

全員に好かれることはない

少し前、あるブロガーの方が、自分の批判コメントを晒しあげ、こんなことを言う人間はおかしい的なことを言っていました。

確かに自分を名指しで批判してきたら、イラつくのも分かりますし、反論したくなるのも分かります。

ただ個人的には、そんな人間の発言は無視をするに限ります。

理由は、人生という時間の無駄使いだと感じるからです。

勿論、思うことを言わないのはストレスが溜まります。が、この世には、働き蟻の法則というのがあります。別名パレードの法則。

これは働き蟻の8割はしっかり働くのに対し、残りの2割は必ずサボっているという法則です。

それを踏まえると、ネット上で自分を攻撃してくる人間は、必ず2割はいるのです。

そんな相手に構って自分の意見をぶつけても、通る筈がありません。別に彼らは答えを求めてはいないですからね。

単純に相手のことが嫌いで攻撃しているに過ぎず、こちらか正論を言っても聞く必要はないですから。

そう考えると、そんな晒しあげて反論するのは、時間が勿体無いのです。

だからこそ、上記で書いた「なぜか人から嫌われる人」というのは、割り切りが必要なのです。

全員に好かれる訳がありませんからね。続きます。

 

 

自分も他者を批判している

それに付随し、自分は他者を批判するのが駄目、という理由が分かりません。

勿論、あからさまな嫌がらせの攻撃、例えば人格を否定したりだとか、汚い言葉で罵ることは駄目でしょう。

ただ、その物事を受けて感じた感想や、批判は別におかしくないと思うのです。

自分は映画の感想なども書いているのですが、中には結構批判している作品もあります。

が、それは自分が感じたことなので、別に矢面に立たされるべきことではありません。

他にも自分は小説なども書いていますが、それを面白くないと感じる人もいることでしょう。

人は皆、感じ方も違うので、それは仕方ないことだと思います。

その為、この人好きじゃない、この作品は面白くなかった。そんなことを呟いたら駄目というのは、肩身が狭い気がするのです。

確かにそんなTwitteを含むSNSに、わざわざ分かるように書く必要がないのも分かります。

自分の胸の内にしまっておくだけで十分ですからね。

ただそれがTwitterの使い方の1つでもあるので、一概によくないと言い切れない面もあります。

更に言えば、本人に直接悪口を言っている訳ではなく、本人が自らエゴサーチなどをして悪口を見つけてきたりもしますからね。

それはどうなんだろう、と個人的には思います。

そもそも全員に好かれる筈がないので、そこは割り切って無視した方がいいのです。

まぁこんなことを書いていますが、自分もできることなら全員に好かれたいですよ。

何か問題提起をして炎上するのは、怖い自分もいます。

ただ、新しいことをしたら炎上するのは必須だと思うので、そのうち必ず炎上するのは覚悟しています。

それを分かっているので、邁進できる面もありますからね。

それに自分が小説家になったとしたら必ずや、「お前は他の人の作品を酷評している割りには、テメェーも大した作品を作っていないだろう」と言われる筈です。

これは自分でも分かっていますからね、批判は簡単にできるのに、いざ自分で作品を作ったらうまくいかないと。

自分が学校の授業でシナリオを出した時、頭ではこの話はつまんないと思っていても、それを超える良案が出てこなかったのです。

だから評論家に、そんなこと言うのなら自分で作れ、は的外れなのです。

色んなものを見ているので、客観的に評価をくだせます。が、それを自分で作ろうとするのは、もはや使う筋肉が違うと言っても過言ではないでしょう。

まぁ自分は感想を書いているだけなので、評論家にもなれてないんですけどね。

話が脱線しましたが、そのうち自分は批判もされるでしょう。が、必ず自分を嫌う人がいるのと同義で、別にそこは気にしなくてもいいのです。

 

まとめ 

結局のところ、自分が何をしていなくても、無条件に自分を嫌う人はいるので、そこまで目くじらを立てる必要はありません

それに自分も他者を攻撃していたりもするので、おあいこというものでしょう。

勿論、人格否定のような低俗なものではないですよ。

そうでなく、評論という名の下ですが、結果的に他者批判をしている場合もあるのです。

本人は批判を感想と置き換えているので、大丈夫かと思っているかもしれません。

が、大丈夫か大丈夫じゃないかを決めるのは、言われた本人なのです。

外野が決めることではありません。今回、自分が取り上げたブロガーの方は、以前にある人を貶していました。

それは問題提起というか、おふざけというか、そこまでの意気込みがあって書いた訳ではなく、軽いノリで言ったらしいのです。

ですが該当する人からすれば、ショックを受けた人もいるかもしれないのです。

それを本人は軽い気持ちだったと言っても、それは知らないというものです。そ

の為、受け取り方は人それぞれなので、気にしても仕方がありません。

発言する以上は、炎上するリスクであったり、違う切り取られ方をするのは当たり前です。

そりゃ不本意ですよ。自分ももしそのような場合になったら、全力で否定すると思います。

ですが冷静に考えた時、それは仕方がないことなのかなと思いますね。もしそれが嫌なのであれば、発言するようなことはしてはいけません。

そういうリスクは、念頭に置いた上で発言しないと、そのうち自分の心が崩れていきますよ。そう言いたいですね。

 

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